晴れのち私。

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<<   作成日時 : 2012/07/13 17:04   >>

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今の気持ち、忘れたくないので記すことにします。

この1年4ヵ月、懸命に闘病生活を過ごされていた義母が、63歳の若さで6日の朝に亡くなりました。父親が亡くなってまだ4ヵ月ですが、また大切な家族を喪いました。

主人は、母親の病気が分かってから、毎月お見舞いに通い、毎日電話をしていました。日帰りで月に2回帰る事もありました。大阪から広島は、車で4時間程度だけど、この距離がたまらなく遠く感じた1年だったと思います。

最期は、私達家族も駆け付け、義父は仕事を終え朝方には病棟に着き、義母は全員が揃うのを待ってくれたかのように、家族や孫達の見守る中、旅立つことができました。大阪が帰れるように金曜日に逝く…。お父さんが月1しかないお休みの第2月曜にゆっくり休める様、第1週目の土日で葬儀。など…全てが有言実行でした。誰にも迷惑をかけない様にと気遣われ、義母らしいカッコいい最期でした。

哀しみの中、お通夜、葬儀、火葬、初七日と進みましたが…二人三脚で看病をしてこられた義父や義妹の気持ち、遠いことをもどかしく感じながらも毎日電話をし、毎月会いに帰省し続けた夫の気持ちを考えると、ずっと涙がとまりませんでした。

義母も、まだまだ心残りだっただろうと思うと、辛くて悔しくて…。
義母は、余命2〜3ヵ月と宣告されてから、1年4ヶ月も命を繋ぎました。それは、家族を思う母親の生命力と、母親に生きて欲しいと言う家族の願い以外考えられません。そして、その貴重な時間で、ベットの上から私達に色んなことを教えてくださいました。

義母は、いつも自分より相手。
どんな時も相手を気遣い、弱音も吐かず、心配をかけまいと必死で笑ってくれました。

病と現実に向き合い、すごく怖かったと思います。死と直面し、覚悟をしながら日々を過ごすなんて、誰かを気遣う余裕などできない心情のはずなのに…。

最後の最後まで、周りに気を遣い、明るく努めてました。そんな義母が義父に残した手紙に、『息子や娘に恵まれ、孫にも会えて、私は幸せ者でした。老春を楽しんで下さい。』と書いてありました。私だったら死を覚悟し、家族にそんな言葉を遺せるだろうか!?…とにかく義母は、闘病中もずっと家族を心配し、家族を思い、愛に溢れていました。

私は義母を母親として、心から尊敬します。彼女のように家族を愛しながら生涯を送りたいとも思いました。

嫁姑の関係で、噛み合わない時期ももちろんありましたが、今は義母が私の目標です。母親の強さは、愛の深さからなんだなってかんじました。『家族への愛』それを、命懸けで教えてくれたような気がします。

お母さん、ありがとう。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
涙が止まりません。
お母様は、ホントに素晴らしい母であったんですね。

私に同じ事ができるだろうか?…と、私も考えさせられました。
素敵なお母様に恵まれて、晴ママ、旦那様は幸せでしたね。
もちろんHちゃんにとっては素敵なおばあちゃんだったんですね。
心より、御冥福をお祈り申し上げます。
気持ちを落ち着かせるには時間が必要です。
どうかゆっくりと…ゆっくりと…無理をせず毎日を過ごしてくださいね。
皆様お疲れが出ませんように。
mochiusagi
2012/07/14 00:16

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